artist statement
制作活動について
「私はこの街に住み、『現在』から差し伸べられた触手で、過去と未来を思う、夢見る権利を握りしめながら。」
多くを見、多くを語り、多くを聴くことが全き事であることは偽りである。芸術の場では、それが明るみになる。全てを望むことは、全てを失うことに他ならない。全き美は、追えば追うほどに、憧憬の中に埋もれる。しかしそれでもなお、美は希求される。文明の中で、芸術は発掘され姿を変えながらも、生き続けていくのだ。芸術家は、矛盾と焦りと不安、欠落した人間の一つの様相を見せる。日常生活の中で隠すべきものとして、近代以降、自立した個人としての理想から、遠い場所へ押しやられる人間の喜怒哀楽は、パンドラの箱から溢れ彷徨う。
現在において私が作品を創ることに、果たして目的はあるのだろうか。
目的がなくとも、創ったものは問いを語りかけて、私の記憶を呼び戻し、記録する。作品は、そのような問いを発生させる装置である。問いは、自ずと、「私」という個に出自をもつが、個は種としての人間の宿命を背負って、この生を全うしたいと渇望する。止む事のない生物としての渇望を、私は、自身の中に宿し、苦楽を味わって日々を送る。芸術は、既にそのような装置として人間の中に存在する。文明の中で渦まく数えきれない問いが、現在どのような現れ方をするのだろうか。それらを探し目に見える形にするために、私は、様々な形式を用いて作品を創る。
インスタレーションとドローイングの作品を創り続けた過程で、私は人間が空間をどのように意識するのか、空間を意識するという事はどのようなことなのか、そして人間が空間と、どのような関係を持つ事によって、世界像を作り上げているのかという問いに向き合うことになった。空間に見いだされた象徴性の源を辿ることを始めた。その途中で避けて通れないものとして、神話や宗教や寓話など、文字化される以前に口伝によって伝播された物語が、現代にどのように現れているのかという部分に、制作の入り口を設けた。上記の神話や宗教は、かつては非常に強力な体系を作りあげ、空間に強靭な象徴体系を伴った全体性を与えていたと考えられる。それは、世界像が分化されることを、執拗に拒む作用とも言えるだろう。しかし、そのような作用は、幸福な象徴体系として機能しない現代の状況では、失われたものへのノスタルジアや分裂した細かな幻想としてしか、機能していない。分裂を余儀なくされる恐れを伴う欲望や願望によって、空間の語りかけることは、微細な響きとなり、私の住むこの世界は、振り子が回転しているような状態となった。止まらぬ回転運動に、いかにして作品の焦点を見いだすか。世界像を支える基底部や基調音を探し当てる事が、私を映像作品の制作へ向かわせた。
2000年から始めた映像作品は、27本になる。当初は、インスタレーションの記録映像として、その場で自分が意図した動作を行い記録する事から始まった。映像作品は、光のもとで撮影され、再び光の状態で再現される。私はどの技法を用いても、最終的には「時間が静止したもの」として、展示してきた。インスタレーションの中で歩き回り、ドローイングの画面の上で視線は、動き回り、映像の動きに眼球は翻弄さる。しかし、止むことのない「まばたき」の連続が、この静止したものに注がれる。動的な印象を持つ「まばたき」は、実は時間を静止するための機能であり、まばたきの結果、見えたものは、記憶の中で「静止」の状態になる。私は数えきれない「静止」した画像の記憶を蓄積しているのだ。歩く前に私は「静止」しており、静止は「動いているものが動きを止める」のではなく「ある時」に動き出すために、存在する状態だということに気づいた。しかし、この『静止』はとても不完全なもので絶えず揺れ、動き出すまさにその手前にある。日々の体験を記録し記憶した引き出しが、開けられるために閉じられているように。
私の映像作品には重要な要素として、自然と街の風景が現れる。朽ち果てた場所や、荒れた土地ほど、雄弁に様々な物語を語る。人間と近しい大きさの自然は、私たちの記憶と重なり合うことが、比較的容易である。それに反して、人間の大きさを凌駕した自然の中では、私たちの個人的な日常の記憶と重なり合うことが難しくなる。そのような自然と戯れることができるようになるには、街からやって来た私にはとても困難な現実となって現れる。最近の私の作品では、その両方の側面からの接近を試みる。そして、過去の作品を撮影した場所は、世の摂理の通り、廃棄あるいは風化し、同じ様子は二度と見る事はできない。
ヨハンナ・シュピーリ原作の「ハイジ」の翻訳本を44歳になって、改めて読み返した時から、自分の年齢を映像作品のタイトルとして使った。このシリーズは「ハイジ44」から、「ハイジ54」まで続いている。原作の中で子供のハイジは狂言回しの役割を演じ、物語の中身は実は大人達の人間模様が繰り広げられる。第一次大戦後に書かれたこの物話は、不思議なくらいに現代でも同じことが起こりうる内容を持っている。例えば、なぜハイジが孤児になったかといいうこと。それは事故死した夫を追って母親が衰弱死している結果である。現在の媒体で明るく描かれるハイジがその時どのように暮らしていたのだろうか。その描写は省かれている。そのような短い表現の中に明るさの中の悲しみが見え隠れする。映像作品では、そのようなストーリーをなぞる事は避けて、山に残った44歳のハイジが街に降りたり、様々な場所を彷徨う内容の作品として制作した。サイトスペシフィックな撮影の仕方も、「いずこへ彷徨う人間」という、テーマ設定のもとに行なっている。
人間の内なる自然への憧憬と、統御し得ないという畏れ。それは、「人生の様態」でもある。寓意となって潜んでいた人間の有り様を想像するために、私は神話や宗教書や寓話を読む。物話を再現することが、主旨ではなく、寓意を映像の中で、まとまったストーリーにせず、架設的に置いてみる。すると、作品に偶然と恣意性が混在し、新たに映像自体が発する寓話が浮かび上がって来る。寓意の隙間から、情景と、風景と、光景がないまぜになったものが、見えてくるように。
では、情景と風景と光景の間には、どのような意味があるのか。それは、人間の本来記憶の底にある基低音、つまり「喜怒哀楽」を、顕わすことに近づくことだ。世界像は個と比べると広大だが、個の小さな世界からも、道が通じているはずだと考えている。いつの時代も、異なる文化が交錯し混在し、その延長にある現代に生きる私の作品は、人間が本来持っている基低音を響かす装置となって欲しいと願っている。「記憶の中で、風景だったものが、ある日、光景に変わること」「記憶の中で、光景だったものが、ある日、風景に変わること」この両方の間を行き来することで、寓意の発生をもたらす容れ物としての映像を制作の軸に置いている。
映像作品が、自分の年齢の時系列になっていくと同時に、映像と画像認識による、情報伝達が当たり前となった。SNSを始めた時に、「絵」を書いてその画像をネット上に掲載してみた。画像認識は、人間の成長段階での初期の記憶の仕方である。世の中の認識方法がそのように徐々に変化してきていることを感じ取り、2011年から現在もこの試みを続けている。「一枚さん」と名付けた試みは、画材も書き方も統一されたものにしない、失敗したものも公開するというルールを決めた。これは、知人友人のみ閲覧可能なものである。そうしているうちに、「絵」に様々なコメントが寄せられるようになり、対面して言葉を交わす事のない人々が、遠慮なく「絵」から気ままな発想を文字にして書き込み、やりとりをしている。いつの間にか、それらは展覧会で「ネットで見ていた現物」が披露されることになった。「一枚さん」という名の紙片は、時系列に並べるとテーマのない絵が並び、同一人物が書いたとは思えない。自己はこの試みでは、薄まってゆく。
現在は、文化・文明と呼ばれる「文」の変化の時期であり、社会での画像の影響力の大きさは近代と比べることはできないほど大きくなっている。ネットにおけるSNS、画像や動画による伝達で、世界はすでに激変している。知らぬ間に、人は拡張したデバイスを持って生きていることが当たり前になっていった。そして「見えるものと見えないもの」と「聞こえるものと聞こえないもの」の関係もまた、この文明の変化に伴って、新たなな局面を迎えていることは確かである。このように、不確かなゆえに土地に根ざした歴史や物語が表面に浮上している現代で、芸術における「見えるものと見えないもの」「聞こえるものと聞こえないもの」のあり様をどのように提示していくか、それは難しい問題として私の前に立ちはだかっている。しかし、この世界像は一度電源を切ると全く伝達が不可能になり、私たちはどこに存在するのかその基盤を危ういものにしているゆえに、なお芸術が生き延びるための重要な方法となるのではないかと、ささやかな希望を抱いている。現代においては、大きな理想を語ることが稀になり、滑稽にも聞こえるが、人の基底部をなしている身体と心は急に変化することはないはずだ。実際にあなたの手に届かないネットの荒れ地の風景の中に、眠る前に一枚の絵の贈り物を送り一日の電源を切る。
2019年11月24日改編
©松井智惠
●Statement On My Work
Chie Matsui
Revised November 24, 2019
“As I lead my life in this city, I cling to the right to dream, with tentacles of thought extending from the present into the past and the future.”
Seeing, speaking about, and listening to as much as possible is all-important: this is a false conception. In the field of art, this becomes abundantly clear. To want it all is to lose it all. The more we pursue perfect beauty, the more it is buried beneath our yearning. Still, we cannot stop seeking after beauty. In our civilization, art is constantly being shown in a new light and transformed, yet it remains vital and lives on. Artists show us various aspects of human conflict, impatience, anxiety, and loss. Human emotions, which since the advent of modern times we have been expected to hide in the course of daily life, to thrust away into a far corner in pursuit of the ideal of the independent individual, overflow as if Pandora’s box had been opened.
Is there really a purpose to my creative activities? Even if they have no purpose, my works spark questions, calling up and preserving my own memories. They are devices that generate such questions. Questions naturally originate from the individual “I,” and the individual craves complete fulfillment in its own life, shouldering the fate of humanity as a species. A living being unable to stop such cravings, I live within them and spend my days experiencing their pains and joys. Art innately exists within us as a device that functions in this way. How are the questions that swirl within our civilization manifested now? I create works in a wide range of formats in order to seek out these questions and render them visible.
In the process of continuing to make installations and drawings, I have been confronted with questions of how people perceive spaces, what it means to be conscious of spaces, and how people create images of the world by forging relationships with spaces, and have attempted to trace the sources of the symbolism we find in them. An inevitable part of this process was establishing a point of entry to the creative process in examination of the way narratives, such as myth, religion, and fable, which were transmitted by the human voice prior to the emergence of the written word, are manifested in the contemporary era. In the past, these myths and religions gave rise to extraordinarily powerful systems, binding spaces with unity accompanied by unshakeable symbolic frameworks. This has the effect of persistently preventing our images of the world from being divided and differentiated. However, in our current situation, where the joyful symbolic system no longer functions, this effect only functions to produce nostalgia for what is lost, or splintered fragments of illusion. Through my wishes and desires accompanied by fear of inevitable fragmentation and disruption, the voices of spaces finely resonate, and the world I inhabit begins to rotate like a pendulum. How can I find the focus of my work amid this unstoppable rotational movement? Searching for the foundation, or fundamental resonating tone, that underlies images of the world led me to produce video works.
Since starting to work in the video medium in 2000, I have made 27 works. I began by documenting intentional movements I performed in installations. Video works are recorded in light, and the images reproduced again in light. Whatever technique or method I use, what I present in the end is some form of “time standing still.” People walk around installations, their gaze moves over the surfaces of drawings, and the eyes follow the movement in video pieces, but in all cases an uninterrupted series of “blinks” is directed toward a still object. We have a dynamic impression of the action of “blinking,” but it actually has the function of halting time. Blinking’s result is that motion is frozen and becomes “still” in memory. Thus far I have accumulated an uncountable number of stationary remembered images. Before I start to walk I am still, and I have come to realize that stillness is not “things in motion ceasing to move,” but rather a state of latent potential to move at some point in the future. However, stillness is highly imperfect, always in a state of vibration and poised to begin moving. The drawers that record and store our daily experience are kept closed in order to be opened.
Both natural and urban landscapes are important elements of my video works. It is the places of decay and desolate wilderness that tell various tales most eloquently. Nature at familiar human scale is superimposed on our everyday memories with relative ease, but when nature transcends human scale, this becomes increasingly difficult. As someone who came from a city, developing the ability to relate playfully to nature is a challenging process. In my recent work, I attempt to approach it from both sides. Meanwhile, sites where I filmed my past works have been abandoned or faded, as is the way of the world, and can never be seen in the same state again.
Since rereading the Japanese translation of Heidi by Johanna Spyri at the age of 44, I began to include my age in the titles of my video works. This series began with Heidi 44 and has continued up to Heidi 54. In the original novels, the child Heidi is actually not a central character but a subsidiary one who moves the plot along, and the story actually paints a picture of the lives of the adult characters. The content of the story, written in 1880, still seems amazingly relevant today. For example, the reason Heidi became an orphan: her father died in an accident, and her mother then wasted away, following her husband into death. In our contemporary media, Heidi is depicted living happily and cheerfully, but what would her life actually have been like at that time? Descriptions of it are omitted in condensed versions, and the sorrow lurking beneath the cheer is only visible in brief glimpses. In my Heidi video pieces, I avoid adhering to the story arc, instead producing work in which a 44-year-old Heidi has remained in the mountains, at times going down into town and roaming here and there. The use of site-specific filming locations was also based on the theme of “people roaming, lost where ever they go.”
The innate yearning and uncontrollable fear of nature are fundamental aspects of the human condition. I read myths, religious texts, and fables to envision human nature, as concealed in these tales in allegorical form. The main point is not to reenact the stories, but rather to leave narratives in images unresolved, connecting images and sounds in the same way that a few temporary bridges connect different places, which allows me to imbue the pieces with accidental and arbitrary qualities and bring out the new element of allegory from the images. Through the cracks opened up by allegory, glimpses of intertwined sights, scenes, and landscapes can be seen.
So what are the relationships of meaning connecting scenes, sights, and landscapes? This relates closely to the deep underlying tone resounding beneath human memory, that is, the emotions. Images of the world are vast compared to the realm of the individual, but I believe there are pathways connecting them. I hope that my work, rooted in our current era which extends the mixing and intertwining of different cultures occurring throughout history, will act as a device that resonates with the deep underlying tone vibrating in all human beings. “What was a landscape in memory will become a scene,” “What was a scene in memory will become a landscape”: the back-and-forth between these forms the axis of my production of video works as vessels for the generation of allegory.
While my video works have progressed year by year, in tandem with my own age, in society it has become second nature for us to transmit information through images and image recognition. After I began using social media, I posted an image of a picture I had made on the Net. In human growth, image recognition is the first method we use to remember things, and I have been addressing this theme since 2011, all the while sensing that our ways of recognizing the world are gradually changing. For the series Ms. Piece I adopted the rule that materials and styles would not be consistent, and that I would also release works I regarded as failures, though viewership is limited to friends and acquaintances. Over time I have received all kinds of comments on the pictures, and people who do not meet or exchange words in person can feel free to write what they feel about them. Thoughts are put down in words and exchanged. Eventually an exhibition was staged, presenting the “originals” of what people had only seen on the Net. When these fragments, which I titled Ms. Piece, were arranged in chronological order, it was hard to believe that they were fragments at all or that they had been made by the same person. This project has had the effect of diluting and dissolving the ego.
Text, aso central to culture and civilization, is in a time of transition, and in contemporary society images have taken on a degree of influence unknown in modern times. The world has already been drastically altered by social media and the flood of still and moving images on the Internet. In a short period of time, it has become the norm for people to live with devices that are extensions of themselves. At the same time, as our civilization evolves, relationships between “visible and invisible,” “audible and inaudible” are clearly entering a new phase. In our current era, when uncertainty causes histories and narratives rooted in the soil of specific regions to grow increasingly prominent, I face the daunting challenge of how to present what is “visible and invisible” and “audible and inaudible” in art. However, electronic images of the world cannot be transmitted or received once the power on our devices is switched off, and this jeopardizes the very foundations of our self-knowledge of where we stand. I harbor modest hopes that for this reason, art will remain a crucial means for us to survive and thrive. Today, talk of high ideals has become rare and can even sound comical, but the body, heart and mind that form our underlying foundation do not change so easily. I send a piece of art, a gift that will not physically reach your hands, into the wilderness of the Net, and shut down the power for another day.
Translated by Christopher Stephens
「一枚さん/ ms.piece」
一枚さんってなんだろう。
毎日晩御飯が終わって、少し経つとテレビの音が遠くなって今日のニュースの画像が視覚から消えていく。どこか意識が遠のく感じがほんの少しの時間なのか長かったのかわからない。
歴史や自然を探訪する番組が始まってまた少し目を開けてしばらくTVの画面を観る。遠い昔の出来事や、訪れることができない場所の風景が画面に映る。解説の人の言葉が時折聴こえる。
すぐそばに置いているワゴンから、紙を一枚取り出して、小さな容器に水を入れる。顔彩や色鉛筆、水彩絵の具に、パステル、墨にマジックインクにボールペン、ネイルカラーに使い古した口紅などなど。
紙に何かを施す材料は、いろいろあるが、どれも使い古したものたちだ。中には今年になって入手した新参者もあり、その発色の現代性を時々自慢してくれる。
さて、今日はどれを使おうか、手が伸びたものを取り上げる。毎晩同じものとは限らない。今日は小さめの紙に青のインクの濃淡だけで何かを描く。少し最初に水を含ませた紙に筆で少しインクを落とす。広がる色はまだ形を表さない。少し待って次の筆を入れる。
少し、紙がインクの色と馴染んで次はここよと誘っているようだ。そんなふうに、ごく短い時間、紙と画材の間で聞こえる会話に耳を澄ます。最後に、少し遊んでラメの入ったネイルカラーを落として終わりにした。それをスマフォで撮影して、SNS( Facebookとinstagram)に今日の年月日をつけてアップロードする。次の日の朝、紙の裏に年月日とサインをして、紙挟みに挟む。
それが生活の一部になり、12年経った。一枚さんの一連の作業を済ませて風呂に浸かり、1日は終わりを迎える。そう、Facebookで始めた毎晩の遊びは、干支を一周したのだ。
SNSを始めたのは2011年で早い方だったかもしれない。おりしも、東日本で起きた大災禍で、今まで興味のなかった人々にも一気に広まった。そのおかげか最初は見る人も少なく、自分の楽しみ、絵を描く楽しみ、完成の呪縛から解かれた楽しみを味わっていた。すると、絵を見た人たちからの、各々の少しふざけたストーリーがコメント欄に書き込まれるようになった。その言葉をヒントに、私も短いストーリーを書いた。現実の美術鑑賞では、そのようなことは、今までの鑑賞体験では、各人の心のうちに収まった状態だったのだろうか。私が描いた絵があまりにも無防備な気軽なものだったからか。
ネット上のSNSの空間に「絵」を毎晩投げ入れること。反応があろうとなかろうと、未完の絵を数分で仕上げてアップロードすること。それだけはどんな時でも続けられる制作プロジェクトになるかなと、思った。作品用の紙の時もあれば、手帳の切れ端の時もある。出張先なら、そこにあるボールペンで充分。スケッチブックからも自由になれるのが、ただ一枚の絵を施された紙片だ。それを私は「一枚さん」と呼ぶようになった。
今日とは、いつの今日なのだろうか。たとえば12年間に「6日」は何日あって、その時に私はどんな紙片をネットに投げていたのだろうか。紙片の裏に書いた年月日を眺めているうちに、太陽暦で進んでいる日付を記した「一枚さん」の時間は、ネットの世界では、もう一つの時空間を編み直すことができるのではないかということに気がついた。12年は干支が一回りしたということだ。これからも続けられる小さな「一枚さん」は英訳してもらうと”ms.piece”となった。
この言葉を私はとても気に入っている。
チャンネルを変えると、ネット配信のドラマや番組が無数に現れる。
その中で、私は何を見たいのか、何を聞きたいのか検索に何を入れると良いのか、呆然として「あなたにおすすめ」のチャンネルに合わすが期待通りのことは滅多に起こらない。ただ、見ていると慣れてくので、慣れることからくる面白さを味わうだけだ。
偶然チャンネルを合わせて見たものに引き込まれることが、少なくなった。映画、ドラマ、アニメ、ライブ、スポーツ、ありとあらゆる動画と画像は小さな箱に繋がれている。電源を入れてモニターが起動すれば、現代のアラクネが精巧に編んだネットの世界が姿を見せる。もちろん、PCもスマートフォンも同様だ。言葉をかけて、指示することもできる。無数の情報を愉しむ方法は、限られている。
音を消して、北の氷の上を移動する長毛の動物の映像や熱帯地方の昆虫の画像をTVに映して、私はPCを開く。横にはスマートフォンを置いて。私はスマートフォンやメールに届いた番号をPCに入力し、SNSのページを開けて今日の「一枚さん」アップロードを確認する。”ms.piece”は私の手から離れて、ネットの中で眠るのか、食事をするのか、どこの国へ行くのか、舞台で踊るのか、亡くなった人たちと再会するのか、見知らぬ国の生き物たちと出会うのか、そうだ、宇宙へ行くことができればいいなと思っているに違いない。
Ms.pieceのAIが毎日夜になると、自動更新してくれる日も近い。
私は20世紀に生を受け、近現代の歴史においてのリアリティと人間のアイデンテティの流れに沿って芸術活動を行ってきた。小さなものが積み重なって現れ出した21世紀になってからの変化は、加速して大きな変化となっている。今や20世紀のリアリティは、生い立ちを異にする、ネットという時空間とパラレルに存在し、その中で私たちは日常生活を送っている。その事実の中で自然発生したのが、「一枚さん」である。
20世紀の手法で作られた紙片をネットの時空間へ投げ入れること。
パラレルに存在させて互いに侵食し合うこと。そして寿命のない世界で漂い続ける「絵」を存在と呼ぶか否か。その検証をすることが「一枚さん」のの基軸になっている。
「一枚さん」は近現代のアイデンティティクライシスをむしろ肯定して行く手段のひとつでもある。ネットで見たものを実際に出会ったときに話題にする。話題にしたことを反映させてネットの中に入る。私たちの日常生活の中に「一枚さん」はすでに存在している。
©️松井智惠 2024年10月2日改訂
「一枚さん」の存在理由については「歌を忘れたカナリア」を参照
Ms. Piece
What is Ms. Piece?
Each evening, after dinner, there is a moment when the sound of the television fades from my ears and the images of the day’s news disappear from my view. I am not sure whether this light doze lasts for just a moment or for a longer period of time.
Now history and nature programs are on, and I reopen my eyes and watch the TV a bit longer. Scenes from ancient history and places I can never visit appear on the screen, interspersed with comments from the narrator.
I take a piece of paper from a cart placed nearby, and fill a small container with water. I have a variety of materials to choose from: pigment, colored pencils, watercolors, pastels, sumi ink, markers, ballpoint pens, nail polish, old tubes of lipstick. All of them are well-worn, having seen much use, although some things just acquired this year boast vivid, up-to-the-minute colors.
Now, which one should I use? My hand tends to reach for a different thing each night. Tonight I am drawing on a smaller piece of paper, using only shades of blue ink. First I moisten the paper, then I drop some ink from the brush. The spreading patch of color hasn’t formed any distinct shape yet. After a short wait, I add another stroke.
The paper seems to become accustomed to the ink, and almost to suggest where I should put the next stroke. For a fleeting moment, I listen to the silent dialogue between the paper and the materials. For a whimsical touch, I add some sparkly nail polish to complete the work. I snap a picture with my phone and upload it to Facebook and Instagram, marking it with today’s date. The next morning, I date and sign the back of the paper, then tuck it into a portfolio.
It has been twelve years since this became part of my daily routine. After finishing my evening work with Ms. Piece, I take a relaxing bath, preparing for the end of the day. This nightly diversion that I began on Facebook has now completed a full cycle of the East Asian zodiac.
When I began using social media in 2011, I was a bit of an early adopter by Japanese standards. That was the year of the great disaster in eastern Japan, and people who were previously tuned out started paying attention to things. At first, the lack of a large audience allowed me to savor the pure pleasure of drawing and posting, and freedom from the burden of having to complete each piece. Playful comments from viewers inspired me to write my own short stories. In the traditional model of art appreciation, this feedback would have been merely internal reflections on the part of viewers. Perhaps the vulnerability and lightheartedness of the works encouraged people to comment.
I envisioned this as a project I could continue indefinitely under any circumstances, posting a picture to social media nightly regardless of whether or not there was a response. The works, often incomplete, were created in mere minutes before being uploaded. They might be on art-quality paper or on scraps from a notebook, and they might be done in ballpoint pen while traveling. I did not even have a sketchbook to tie me down. These standalone works on scraps of paper became a form of release, and I began to refer to the project as “Ms. Piece.”
What day is “today”? Over the past twelve years, how many times has it been the 6th of the month, and what piece of paper was I uploading on each of those days? As I examined the dates on the backs of the works, it occurred to me that the Gregorian dates inscribed on each “Ms. Piece” might generate a new dimension of time on the internet. Twelve years complete a full cycle of the East Asian zodiac. Incidentally, the ongoing project’s name in Japanese is gender-neutral, but I am very fond of the English translation “Ms. Piece.”
When I go to change the channel, streaming services offer an unlimited range of dramas and other programs. What do I want to watch or listen to, what should I enter in that search box? Often I am overwhelmed and settle on “Recommended for you,” which seldom meets my expectations. Still, I have become accustomed to this routine and find a certain pleasure in the familiarity.
It is increasingly rare for me to get sucked into something I stumble on by chance. Movies, dramas, anime, concerts, sports, every imaginable moving or still image flows through one compact device. When I switch on the power and the monitor comes to life, a modern-day Arachne spins a worldwide web that ensnares us all in her net. This is of course true of computers and phones as well as internet-connected TVs. I can speak to machines and give them commands. Information is infinite, but our means of enjoying it are finite.
I mute the sound, leaving only images of long-haired animals traversing the icy north and insects in the tropics, and open my computer. I put my phone down next to it. I enter numbers received on my phone or email into the computer, open social media, and check today’s upload of Ms. Piece. This particular piece has left my hands and is roaming the net. Does it sleep or eat there, travel to other countries, dance on stage, reunite with the dear departed, encounter creatures from unknown countries? Surely it longs to travel into outer space. The day when AI automatically updates “Ms. Piece” every evening is not far off.
I was born in the 20th century, and my practice has aligned with the flow of reality and human identity in modern and contemporary history. Changes that began as small and incremental are accelerating and snowballing in the 21st century. The reality established in the 20th century exists in parallel with a new dimension of time and space called the internet, and we conduct our daily lives in both of these worlds. “Ms. Piece” emerged spontaneously in this context.
Scraps of paper, manufactured with 20th-century technology, are cast into the space-time continuum of the net, allowing them to exist simultaneously and permeate one another. Should these pictures, drifting indefinitely in a realm without life spans, be recognized as existing? That question is the foundation of “Ms. Piece.”
“Ms. Piece” is also a means of positively embracing the identity crisis of modern and contemporary times. When we meet in real life, we discuss things seen on the net, and we reflect these discussions back into the digital realm. In this sense, the practice of “Ms. Piece” has already become a part of our daily lives.
In this application to the Ogasawara Foundation, I have the goal of archiving the ongoing “Ms. Piece” project as a platform to initiate the exploration of how the realities of space-time will interact with art in the future. I started posting images on the web without a specific purpose, and this is what has allowed it to persist. I would like to begin by archiving these small pieces of paper, which are not directly useful to anyone, and illuminate issues derived from their imagery.
The first step will be to build a foundation by elucidating the complex connections of “Ms. Piece.” The initiative will continue with analyses of exhibitions and discrepancies between images and text, and I expect it to develop into a long-term endeavor spanning several years, during which time “Ms. Piece” will continue day by day. An outline follows:
©️ Matsui Chie
Revised October 2, 2024
For more about Ms. Piece’s reason for being, see the separate document “The Canary That Forgot Its Song.”
Translated by Christopher Stephens
一枚さんの存在理由および作家活動の中での位置付け
「歌を忘れたカナリア」
カナリアは今日も「一枚さん」となって歌います、忘れるまで。
西条八十が1918年(大正7年)に「赤い鳥」に寄せた日本で最初の童謡の歌詞は、「赤い鳥」専属だった成田為三作曲によって翌年楽譜と一緒に掲載された「かなりあ」という歌だった。「かなりあ」の歌はよく知られているが、歌詞を全部諳んじていないので、改めてここに書き記すことにする。
歌を忘れたカナリヤは後ろの山に捨てましょうか
いえいえそれはかわいそう
歌を忘れたカナリヤは背戸の小藪に埋けましょうか
いえいえそれはなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは柳の鞭でぶちましょうか
いえいえそれはかわいそう
歌を忘れたカナリヤは象牙の船に銀のかい
月夜の海に浮かべれば忘れた歌を思い出す
何回読んでもいたたまれなく、かなしい気持ちになるのは「童謡」とはいえ、そこに書かれた言葉が、比喩に満ちているからだ。これは童謡で歌うことを推奨された詩歌だ。歌を歌わなくなったカナリアの話を、私たちに歌えよと促され歌うのだ。西条八十という人のポエジーはなんと残酷なことか。歌えば、詩を書いた西条八十本人が自分自身をカナリアに見立てていたことが察せられる。詩作の苦しみや哀しみ、社会の人々の眼差しをそこに託していたことが切ないまでに伝わる。
カナリアは、美しい声だけでなく、危険地帯を探索するときにも重宝されてきた鳥だ。鳥の中でも、弱いゆえに酸素が少しでも薄くなると死んでしまう。危険を察知するために人々の先導となって、鉱物や宝探しのために、暗闇の洞窟の中へ入っていった。美しさを褒め称えられる歌を歌えなくなったカナリアは、数えきれないほどこの世に存在していた。裏山に捨てたという話も、勿論あったに違いない。
ならば、詩人はどうだ。カナリアに託された宿命のように、世の中で強靭な存在としては生きていくことができない者のことではないか。詩の心がもたらすものは、目の前のご馳走でさえ食せば理由なき涙をこぼしてしまう感受性である。私の勝手な例えではあるが、到底社会のために役に立つとは言い難いことであろう。西条八十もまた、自身がカナリアであることを自覚していたに違いない。
1918年(大正7年)は、時の内閣がシベリア出兵を宣言し、全国的な米騒動が起こった年である。国民の不安は最も高まっていた。その同じ年に発表された「カナリア」の歌は、何が役に立つのか、弱きものは生きて行けるのか、詩人も含めて世の中では、お米に変えることができない術を持つ人々、「役に立たない」人々が存在できるのかという不安が心の底に沸き起こっていただろう。
子供のための雑誌「赤い鳥」は、大人の作家が、自分の心を素直に吐露できる場であったのではないかと察する。鈴木三重吉、芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声、菊池寛、谷崎潤一郎、三木露風、西条八十と、「赤い鳥」に発表している作家を見れば、大人の世界と子供の心はさして変わりなく、子供向けの表現を借りた短い文章なだけに、世界の有り様が凝縮されて描かれている。難しい熟語を使わず短い文章を書くときには、比喩の力を借りる必要がある。その筆力は長編とはまた異なるものを求められる。しかし、比喩によって紡がれた言葉が時間の枠を超えて、現代にも届く事象を与えてくれるのだ。
私がなぜこのような長い引用を書いたかというと、今日も返事を書くネットでのやり取りには、比喩に満ちた文章は必要とされない。ラインでのチャットやネットでの文章を読もうとしても、そこには画像や動画が散乱した画面になっている。言葉の響きだけ、あるいは画像だけを体験することがむしろ難しく貴重なこととなっている。現代ではさまざまな事象に対応しているうちに、子供も大人もあっという間に歌を忘れたカナリアがいたことさえ、忘れてしまう。
おいしいご馳走を前にしても、それが暖かいのか冷めたものなのか、画像の湯気にリアリティを感じ、歩けばレンズ越しの動画の小鳥と戯れて微笑する私の身体が存在する。
現在「役に立つ」ということに対する不安は、西条八十が「かなりあ」を描いた時と変わらないのではないかとさえ思う。21世紀は「役に立たない」ものを掬い上げようとするものの、その真逆の世界を作り出している。物事に表と裏があることは自明だが、現代は、不可視と可視が入り混ざり、常に可変で姿形が動いている様子を呈している。確かな立体像は溶けつつ生成する。画面もまた、大きさの単位は人間のスケールで測られるものではない。デジタルの単位は宇宙空間にまで届く。
なぜ、こんなに数多くの種類の情報が溢れ出る世の中になってしまったのだろうか。人々と会話をするのに用いられるツールの数は限りなく増え続ける。その中でも、「役にたつ」ことが基準になっていくのだろうか。芸術は、現代ではさまざまな役割を担っている。別の見方をすれば、何かの役に立たなければ、存続が不可能な媒体になっているのかもしれない。ならば、私は、とうに歌を忘れているのかもしれないと、夕方に空を見て思う。
そのように愚痴めいたことをつらねども、比喩のないネットの世界にもどっぷりと浸かってあちらとこちらを常に行き来しながら美術制作をしている。PCでのやり取りができなくても、美術作家として認められるなら、そうしたいものだ。毎晩行っているSNSへの小さな紙切れに描いた絵の投稿は、次の展覧会のためでもなく、自分がまだ歌を忘れていないことを確かめるためだけの一片の絵。
「一枚さん」と名付けた、役に立たない紙片の集積は作品と呼べるのかどうか、世の中に出してみたいと12年たった今、思うようになった。世の中とは、SNSよりも広いwebの世界と今、私が歩いている場所だ。
象牙の船はなけれども、可変の時空を自由に行き来できる船にカナリアを乗せて、舳先の上でとこしえの歌を歌ってみたいと思う。
今夜は街では月の明かりは見えねども、青のインクを濡らした紙の上に一筆置く。月が銀の筆を落としてくれたなら、出番を待っていた五色の鳥たちが舳先に降り立つ。彼らもまた、「かなりあ」のように歌を思い出すのだ。「かなりあ」はもう打たれることもなく、忘れん坊の役立たずたちと、一編の歌を歌う。私は彼らと一緒に日々旅をして生活する。それが美術史の範疇に入らず、作品と呼ばれなくとも。
2024年10月2日筆
©️松井智惠
注)カナリアの雄は、実際に繁殖期を過ぎると、歌を忘れます。
繁殖期には脳の「歌う中枢」が、約2倍大きくなります。 雌を自分のところへ引きつけるために歌を覚え、夫婦関係が成立すると、歌の元の大きさに戻り、覚えた歌を忘れることになります。
Ms. Piece’s Reason for Being and Role in My Practice
“The canary that forgot its song…”
Today, like every day, the canary I call “Ms. Piece” sings until it forgets its song.
Saijo Yaso wrote the lyrics to Japan’s first children’s song in 1918 for the children’s magazine Akai tori (Red Bird). With music composed by Narita Tamezo, who had an exclusive contract with Akai tori, the song was published in the magazine as “Canary” the following year. While “Canary” is well-known, not many people remember all of the lyrics, so I include some of them below:
The canary that forgot its song, should we abandon it in the mountains?
No, we would pity the poor bird.
The canary that forgot its song, should we bury it in the bushes behind the back door?
No, we could never do that.
The canary that forgot its song, should we whip it with a willow switch?
No, we would pity the poor bird.
If we set the canary that forgot its song aboard an ivory boat with silver oars,
and float it on the moonlit sea, it will remember its forgotten song.
No matter how many times I read it, this children’s song makes me unbearably sad, but it is also rich with metaphor. We are encouraged to sing the poetic lyrics as a children’s song, substituting our own voices for that of the canary that ceased to sing. Upon singing Saijo’s poem, cruel in its beauty, one feels that he saw himself in the canary. His verses poignantly reflect the struggles of the poet and the cold gaze of society.
Canaries are not only treasured for their melodious voices, but also serve as scouts in dangerous environments. The birds are so sensitive that a slight drop in oxygen levels can be fatal. Historically, they were early warning systems for miners probing dark, dangerous caves, thus the proverbial phrase “canary in the coalmine.” There are many stories of canaries that lost their singing voices, once celebrated for their beauty. Surely, many such canaries were indeed abandoned in the mountains.
So, what of poets? Don’t they epitomize those of us unable to navigate the world with toughness and resilience, like the poor canary? Poetry cultivates such sensitivity that one may inexplicably shed tears even after savoring a fine feast. This is merely my analogy, but it hard to make a case that such sensitivity serves a practical purpose for society. Saijo Yaso must have recognized himself and the canary as kindred spirits.
1918 was a year when the Japanese cabinet ordered troops deployed to Siberia, and there were nationwide rice riots. It was in this year of tumult that the song “Canary” was released. In this historical context, it seems that the lyrics reflect deep anxieties about what and who was “useful” to society, and doubts about the survival of the vulnerable. Poets, and others with skills not easily converted into essential resources like rice, were the embodiment of “useless” individuals.
The children’s magazine Akai tori evidently served as a space where adult writers could honestly express their feelings. When we look at the writers who were published in its pages, such as Suzuki Miekichi, Akutagawa Ryunosuke, Arishima Takeo, Izumi Kyoka, Kitahara Hakushu, Takahama Kyoshi, Tokuda Shumei, Kikuchi Kan, Tanizaki Junichiro, Miki Rofu, and Saijo Yaso, it seems that the adult world and the child’s mind are not far apart. In writing brief narratives tailored to a young audience, they boiled the nature of the world down to its essence. Writing concisely, without complex terminology, often requires the use of metaphors. The literary skills required for these shorter writings differ from those needed for longer works. However, it is the power of metaphor that makes these long-ago words resonate with people to this day.
I have written so extensively about someone else’s work because in online communication, where I compose responses day after day, metaphoric language is seen as unnecessary. When we read text on messaging apps or on the internet, the screens are cluttered with still and moving images. The pure experience of the sounds of words, or of images, has become precious and difficult to obtain. Today, as we constantly adapt ourselves to myriad events and phenomena, children and adults alike forget even that there was once a canary who forgot its song.
Even with a delicious meal in front of me, whether warm or cold, I find reality in the steam rising in a video. As I walk down the street, it is playing with a little bird on my screen that brings a smile to my face.
Our present-day anxieties over “usefulness” may not differ much from those of the time when Saijo Yaso wrote “Canary.” In the 21st century, we endeavor to appreciate the “useless,” but we have produced a world more utilitarian than ever. It is obvious that there are two sides to every story, but today, the invisible and visible are intermingled, continually changing form and appearance. Solid images are constantly melted down and reformulated into something else. Screens, too, are measured not at human scale, but in digital units that extend outward into the cosmos.
Why has our world become inundated with such a vast array of information? The tools we use for communication are multiplying without end, but even with such infinite choices, “usefulness” increasingly seems to be the criterion. Today art fulfills a variety of roles, but by the same token, it might need to prove its usefulness in order to survive. As I look up at the evening sky, I wonder whether I, too, have long forgotten how to sing.
Despite these complaints, I am deeply immersed in the metaphor-free world of the internet, continuously oscillating between virtual and physical spaces as a create art. Even when not interacting with people online, I want to use these spaces to be acknowledged as an artist. The small drawings I post nightly on social media are not intended for any upcoming exhibition. They are reminders to myself that I still known how to sing.
Twelve years into this project, I find myself wondering if the accumulation of seemingly useless sheets of paper that I call “Ms. Piece” qualifies as art. I made a decision to share it with the world, and the world extends beyond social media to the wider web and to real world in which where I am currently walking.
I do not have an ivory boat, but I envision placing a canary on a vessel tat sails freely through shifting dimensions of time and space, and joining it in singing an eternal song from the prow.
Although the moon is not visible in the city tonight, I make a mark with blue ink on damp paper. If the moon were to lower a silver brush onto the scene, brilliant birds of five colors waiting in the wings would alight on the prow. Like the canary, they would remember their songs. No longer silenced, the canary would join in song with those forgotten and dismissed as useless. I join them on this journey each day, even if it does not fall within the scope of art history, or qualify as what we call art.
Matsui Chie
October 2, 2024
Note: Male canaries actually forget their songs after the breeding season passes.
During this season, the “song center” of the bird’s brain approximately doubles in size. Males learn songs to attract females, and once a pair is formed, the song center returns to its original size, and the songs are forgotten.
Translated by Christopher Stephens
「置き去られた鏡」
朝、鏡の前に立って私はほうっと息を吐く。
鏡の表面は少し曇り、寝ぼけた老女の顔が映っている。その背後には緑色の引き出 しと、描きかけの絵に洗濯物。手にしたスマートフォンで反転した自分を撮影する。
私は手のひらの中で自分の姿を見ていた。
インスタレーションの作品から映像や絵物語に移行して、しばらく経つ。私は物語や 記憶の発生装置として、インスタレーションの構造を作っていた。時と共に、私の暮 らす社会構造は急速に変わり続けている。物語や記憶をテーマに、私は今、何を作る ことができるのだろうか。「鏡」の役割が変化しつつあることと無関係だろうか。モノ タイプ版画の制作を始めたことが契機になり、「鏡」という、問いかけに満ちた迷宮に足を踏み入れた。
現在の世界は、多種の時間軸で認識されているのではないだろうか。それと呼応す るように鏡の在り方も変化したように思える。スマートフォンのようなガジェットの 存在は、新しい鏡の仲間と言えるだろう。きっちりと壁に一枚づつ掛けられる重い鏡 の他に、人は手の中に常に軽やかな鏡を持つようになった。今、この時も一体何枚の 鏡が人の手中にあり、世界を移動しているのだろうか。
そのような時空で、個人の記憶や物語は、世界中に点在する大きな物語へ急速に結 び付き、争いと協調という二面性を持つ「共有」の中で、タイトルも主人公も薄まっ て、途切れた山脈のように重なり合っている。記憶の瘡蓋を剥がし続け、物語=ナラ ティブの闘争が重苦しくのしかかる現在では、今までとは異なる物語の技法と態度を 私は希求せざるを得ない。
日常は、簡単に癒すことのできぬ哀しみや可笑しみがいくつも連鎖する。物語=ナ ラティブを編み直すには、空になる場所が必要だ。展示前の空間、品物を取り出した 後の箱、データを消した後のハードディスク。絵の具と像が剥がれた、プリント後の モノタイプの版。
空になる場所を探していた時に「幕間」という言葉が現れた。
風景が光景に変わる前に、あるいは光景を風景に変える前に、舞台の幕が上がるそ の前に、舞台の最中にも出番を待つものが日々の生活を営み、生を描く。明るさと暗 さ、あちらとこちらを自由に行き来できる空間として幕間が存在する。時間と空間を 仕切る無数の幕の袖で、私は描く作業をする。しかし、鏡の歴史に深く吸い込まれ て、なかなか描くべき舞台が見えてこない。月明かりでうつる水鏡のような、おぼろげな像が無数に現れては消える。無数の像が消えゆく前の生々しさを伝えようとして も、次々とそれらは記憶の箱の中に収納される。スマートフォンの画像は今や最も鮮 明だ。しかし、それらも記憶の箱に入れば、輪郭が滲みコントラストも色彩も変わっ てしまう。生きた像は鏡にうつされた後は、まるでモノタイプ版のように剥がれた像 の状態で記憶される。そのように消えようとする記憶もまた、大切なのではないかと 思う。
鏡にうつらない記憶があることを見つけようとするのは、無意味なことだろうか。
何が必要なのか。そうだあの面倒な私個人の記憶を呼び戻してみよう。初めて鏡に 映ったものを見たのは、夜、ガラス戶に映った怯えた自分の顔だったか。そして大人 の女の匂いのするコンパクトミラー。過去の幕間からつながる記憶の鏡はおぼろげ で、電球は切れかけて点滅を続けている。鏡は記憶に対する包容力を持たない。私や あなたが見たと信じているものを、ただうつす。
もし、信じていなかったものがうつっているとすれば、それが、鏡にうつらない記 憶に違いない。無人の暗室内にあっても、明るい陽射しに満ちた未踏の花畑にあって も、鏡はうつらない記憶を内包し、置き去りにされるものとして、そこに在る。
置き去りにされた鏡はこういうだろう「これが本来のわたしとあなたの姿なのだ」 と。
世界をスマートフォンで探索しているうちに、昔話のような物語が、ある日突然は じまる。白髪になるほど時が経ったことを忘れ、友と心置きなく交わされる言葉は息 を伴う。鏡に映すことで声や言葉の意味は、互いの鏡で反射し照応する。しかしその 後、鏡は友の息をうつすことはなかった。幕間では、今も輩が何かを描いているよう な気がしてならない。幕は生と死の両面を持ち、幕間にいる輩は二つの面を描く。鏡 にうつるのは、その片側のみであったとしても。
もうすでに人は鏡に姿をうつさなくなったのだろうか。夕暮れに鏡にうつる私の姿 は、絵の具が剥がれたモノタイプの版に変化していた。幕間から飛び出た絵が、映ら ぬ息を吐きながら鏡の向こう側から近づいてくる。
朝と夕の悪戯に満ちた再会が叶うように願い、鏡にうつるただ一枚の絵に、ほうっ と息を吐いてみようか。
2024 年 1月28日 筆
©松井智惠
※「幕間」についてのコメントは note に記載の以下のテキストを参照
https://note.com/boji_pika_poka_6/n/n7adebd1d2d95?magazine_key=me1d9be7ed5e0
Artist’s Statement
The Forsaken Mirror
In the morning, I stand before the mirror and let out a deep breath.
The slightly clouded surface of the mirror reflects the aging visage of a sleep-frazzled woman. Behind her is a green chest of drawers, an unfinished picture, and a pile of laundry. With my phone I snap a photo of my reflection, then look at the image in the palm of my hand.
It has been a while since I shifted from installation works to making videos and pictorial narratives. My installations were structured as devices that generated stories and memories. As history marches forward and the society I belong to keeps drastically changing, I wonder what I can do with the theme of narrative and memory. Does it relate to the evolving role of the mirror? I began working with monotype printmaking, and this marked my entry into a labyrinth of questions with the mysterious “mirror” at its center.
Today we all grasp the world along different timelines, and the nature of the mirror seems to have changed accordingly. Smartphones and other gadgets are present-day equivalents of mirrors. In addition to the heavy old-fashioned mirrors carefully hung on our walls, we now carry their nearly weightless counterparts in our hands wherever we go. How many of these mirrors are traversing the world, clutched in people’s hands, at this very moment?
At this point in space-time, personal memories and stories are instantly woven into the broader narrative tapestry that spans the globe. In this ambiguous shared space of conflict and cooperation, stories’ titles and main characters fade and blur together like distant, fragmented mountain ranges. In these times, with the scabs of memory continually ripped away, weighed down by conflicting narratives, I am driven to explore unprecedented approaches and perspectives on storytelling.
Our daily lives are a parade of sorrows and absurdities that are not easily healed. To reconstruct our narratives, we need spaces that become empty: galleries between exhibitions, boxes with their contents removed, hard drives with their data deleted. Monotype plates after printing, stripped of their color and imagery.
In my search for an empty space, I came across the word “interlude.”
The interlude before a scene becomes a spectacle, or vice versa, before the curtain rises on the stage, or even during the performance when actors wait in the wings to take the stage. These actors are us, living our daily lives, portraying ourselves. The light and the dark.
Some interludes are spaces that let us move freely back and forth. Waiting in the myriad curtain wings that divide time and space, I do the work of drawing. But I am drawn too deeply into the mirror’s history, and I stages I ought to depict remain elusive. Like fleeting images on moonlit water, countless vague forms appear and disappear. I try to seize these vivid images before they fade, but they are sealed one by one into the vault of memory. The clearest pictures are the ones on my phone, but once sealed away in memory, those too slip away as their contours fade and their contrasts and hues change. Once reflected in a mirror, living images are remembered like stripped-away layers of monotype prints. However, I believe even fading memories are precious.
Is it meaningless to search for memories that are not reflected in the mirror?
What should I do? I know, I’ll try delving into my own troublesome personal memories. The first time I saw myself in a mirror, was it my frightened face reflected in a windowpane at night? Was it a mirrored compact that bore the scent of a grown-up woman? The mirror of memory, leading back to interludes in the past, is clouded, its light bulbs flickering, nearly burnt out. Mirrors lack the generosity to preserve our memories. They simply reflect back what we believe we’ve seen.
If we see things that we had not believed in, surely those are memories that mirrors failed to capture. Whether in a deserted darkroom or in a pristine meadow bathed in sunshine, mirrors hold these forsaken things, our unreflected memories.
A forsaken mirror might tell us: “This is what we really look like, you and me.”
One day, as I’m navigating the world through my phone, a narrative like an old fable suddenly unfolds. I forget that so much time has passed that my hair has turned to silver, and the words I exchange with a friend flow effortlessly as we breathe. Reflected in the mirror, our words and their meanings bounce between our mirrors and flow into one another. But after this, my friend’s breath ceases to cloud the mirror. The curtain has two sides, life and death, and those in the interludes can see and depict both sides. Even if the mirror reflects only one.
Have we stopped seeing ourselves in mirrors? In the dusk, my reflection has turned into a monotype, its pigment stripped away. A picture, emerging from the interlude, approaches from the other side of the mirror, letting out invisible breath.
Longing to meet again, full of the mischief of dawn and dusk, I let out a breath in front of this lone picture reflected in the mirror before me.
January 28, 2024
© Matsui Chie
※「幕間」についてのコメントは note に記載の以下のテキストを参照
https://note.com/boji_pika_poka_6/n/n7adebd1d2d95?magazine_key=me1d9be7ed5e0
Translated by Christopher Stephens
作品について
HEIDI54「プルシャ」は、倉敷でのサイトスペシフィックな作品であり、
同時に自らの影を見いだすことになった作品である。
まず、会場となる「有隣荘」の下見に訪れたときに、「大原美術館」、「工芸・東洋館」、「児島虎次郎記念館」などをはじめ、倉敷美観地区を見て回った。また、かねてから、撮影したいと思っていた、水島コンビナート地区も訪れることができた。
大原美術館の美術品の中で、私がふと、気になったものがあった。それは、オリエント館に展示されていた、古代のガラスや陶器の破片であった。
「西洋と東洋」そのような分類以前にあった、文化の伝播、そして文明に思いを馳せた。第二次大戦後、戦死によって、十名以下になった四天王寺舞楽の復興に勉めた家族との生活では、常に大陸からの色合いと、音が鳴り響いていた。破片たちは、近しいものでありながら、決して国境線で途絶えることのなかった文化の証であり、音色がそこには時空を超えて響いている。
水島コンビナートへの関心は、私が高度成長期の恩恵を受けて育った世代であることに大きく関係している。工業化の中で培われた技術なしでは、現在の生活は成り立たない。残念ながら、今回は撮影はできなかったものの、下見で訪れたJFE西日本製鉄の敷地は、大阪北区ほどの面積であり、製鉄の為だけにつくられた無数の工場、運搬車両に敷地内を走る貨物列車。環境問題を乗り越えつつ、岸壁に運ばれた鉄の原材料が、あらゆる行程を経た後に、赤い固まりになって現れるまでどれほど多くの時間と人の力がかかっているか。しかし、それは外側から決してみることはできないし、また工場内の操作は操作室でおこなわれている。
この二つの下見を終え、有隣荘に戻ると、そこは誰かを待つこともなく、ただ時間が止まったかのような場所に思えた。オリエント館で見た破片が、人の目に映るようになるまでの時間と同じくらいの長さを感じた。
作られた時代は異なるものの、いまや、人の目に触れることの少ない場所という意味では、前述したコンビナートにも、有隣荘にも、共通した何ものかがある。それは、オカルト的なものでは決してなく、人為の中に侵入している、もっと透明で無垢な働きをなすものではないだろうか。
そのようなことを、思いめぐらせた時に、「プルシャ」と「リグ・ヴェーダ」いう言葉が浮かんだ。仏典を読んでいた時に、インド哲学の本に、ふと手が伸びた。ウパニシャッド哲学のサーンキヤ学派の文献によれば、「プルシャ」は、物質原理「プラクリティ」とは全く隔絶した純粋な精神原理とされる。理性や感情とも異なったもので、プラクリティの作り出す現象世界を観照する。それは、水面や鏡に映った映像を見る人にたとえることができるとあった。映像作品について、疑問がおこっていた時期でもあり、この言葉は、制作のキーワードとなっていった。
質感を伴わない場所が全くなく、手の後がわからないくらいの精緻な作品としての、有隣荘。有隣荘は目を凝らすほど、みえぬものがある。耳をそばだてても、音を持たない建物である。なぜなのか?この建物が造られた由来によるものではないだろうか。つまり、病弱の妻とゆっくりと時間をともにしたいという当主の発願があったにもかかわらず、叶うことがなかったからだろうか。
この作品を制作するには、有隣荘で私が感じたものと向きあわなければならなかった。「精緻で調和のとれた空間であり、ざわめきのない空間」。それを現象に置き換えるための意識を働かせるために、撮影された画像の世界と、もう一つ、音の世界をつくることにしたのである。
鏡の語源は、「影身」ともいう。本編に現れる鏡や水面は、影の身であり、それ自体に意味はない。むしろ悲しみ、哀しみともいうべきで、そのようなものからどのように、開かれたありのままの生に至ることができるかが、課題となってる。喜怒哀楽の世は短いが、芸術という術をもっている人間の奥底には、個人史の部分を凌駕する、純粋な精神原理「プルシャ」の中で「戯れて遊ぶ」ことができるはずではないだろうか。まとまったストーリーの中よりも、断片の不条理な中にそれらは、込められている。
有隣荘は、人間の作ってきたもの、伝来してきたものたちの、世界の時間軸があり、その世界地図の中にいるようでもある。故郷をもたぬ、複数の人物が、今回はさまようというよりも、絶対的孤独の中で夢を見、時間軸が異なった世界で、統一されないものになる。作品を見ている私、あなたが純粋な精神原理プルシャに、形を与え、初めてみえるもの、聞くもの、嗅ぐものになる。そのような体験をすることができるように、願ってつくったものである。
2014年 4月13日
松井智惠
About the Work
HEIDI 54: Purusha is a site-specific work installed in Kurashiki. It is also a work that led me to discover my own shadow.
When I first visited Yurinso, the venue for the exhibition, I also toured the rest of the Ohara Museum of Art, including the Crafts and Oriental Art Gallery and the Torajiro Kojima Memorial Museum, and walked around the Kurashiki Bikan Historical Quarter. I was also able to visit the Mizushima Industrial Zone, a place I had long wanted to capture on camera.
Among the works at the Ohara Museum of Art, my attention was particularly drawn to ancient glass and pottery shards displayed in the Oriental Art Gallery. These artifacts made me think about the diffusion of culture and civilization that was occurring before classifications such as “Western and Eastern” existed. When I was living with my family, which was engaged in reviving Shitennoji bugaku (a form of court dance and music) after its near extinction post-World War II with fewer than ten surviving practitioners, there was always a sense of colors and sounds from the Asian continent. The shards, while they felt familiar to me, are also a testament to culture that ceaselessly flowed across national borders, echoing through time and space.
My interest in the Mizushima Industrial Zone is strongly related to my belonging to a generation that grew up reaping the benefits of rapid economic growth. Without the technologies developed during industrialization, we would not enjoy the lifestyles we have today. Unfortunately, I was not able to shoot the zone this time, but on my visit to JFE Steel’s West Japan site, which spans an area as large as Osaka’s Kita Ward (over 10 km²), I saw countless factories and transport vehicles made solely for steel production, along with freight trains running through the premises. How much time and human effort are required to transform raw iron ore shipped to the docks into solid blocks of steel through all sorts of processes, all the while struggling with environmental issues? Whatever goes on inside the factories, it is not visible from the outside, and operations are controlled from inside control rooms.
After visiting these two sites and returning to Yurinso, it felt like a place where time had stopped, a place that was not waiting for anyone. It felt like the length of time it took for the fragments I saw in the Oriental Gallery to become visible to human eyes.
While they belong to different eras, there seems to be a commonality between Yurinso and a place like the industrial zone, seldom seen to human eyes. It is certainly not something occult, more like a pure and transparent force that permeates all of human activity.
As I was contemplating these things, the words Purusha and Rig Veda came to mind. Once, while reading Buddhist scriptures, I found myself picking up a book on Indian philosophy. According to the literature of the Samkhya school of Upanishadic philosophy, Purusha is a pure spiritual principle, entirely separate from the material principle Prakriti. It is beyond reason and emotion, a witness-consciousness that observes the world of phenomena generated by Prakriti. This can be likened to a person seeing images reflected in water or a mirror. At a time when I was questioning my own video work, these concepts became key to my creative process.
No part of Yurinso is without texture, yet it is a work of such exquisite craftsmanship that one can scarcely see traces of the hands that made it. The more one scrutinizes Yurinso, the more seems to be hidden from view. No matter how you strain your ears, it is a building without sound. Why is this? Could it be due to the story of its construction, namely the head of the household’s desire to spend tranquil time with his frail wife, a wish that sadly never came to fruition?
To produce this work, I had to confront what I experienced at Yurinso, a space that is intricately crafted, harmonious, quiet and still. To translate this experience into a phenomenon, I needed to create a world of not only visual imagery but also sound.
The etymological origins of the Japanese word for “mirror” are the words “shadow body.” The mirrors and water surfaces appearing in the work’s main story are shadow bodies. They have no inherent meaning, and instead could be interpreted as symbols of sorrow or grief. The problem is how to transition from such closed states into a real and open life. While the realm of emotions is transient, within the pure spiritual principle of Purusha, there may be opportunities to play and frolic, transcending personal history. These elements are found not in a coherent narrative, but embedded within the absurdity of fragments.
Yurinso is on the temporal axis of the world, encompassing things created and inherited by humankind, and also on the spatial map of the world. People without a homeland do not wander but dream in absolute solitude, becoming part of an disunified world on a separate timeline. You and I, as viewers of the work, give shape to the pure spiritual principle of Purusha, rendering things visible, audible, and olfactory for the first time. This work was produced in the hope of fostering such experiences.
Matsui Chie
April 13, 2014
Translated by Christopher Stephens
2014年 映像制作メモ
およそ、映像を作るという作業は、選び切り取っっていく行動である。
失敗だと思っていたシーンの中の一部が、選ばれることもあれば、使われる予定で撮影したものも、ばっさりとなくなってゆく。撮影時間のすべてから、結局残るのは、ほんの少しである。
フィルム撮影の写真も、同じように36枚取りフィルム一本のうちから、1カットよいものが出ることは、稀だった。
まず、フレームに何が映っているか。
それを見ようと私たちはやっきになる。しかし、フレームの外に残されたもの、残ってしまっているもの、それらを想起させることができればと試みる。
残されたものに意味はあるのだと、私は考えている。
作品本体に、意味はない。
意味をあたえ、形づくるものは、物質つまり肉体の感覚器官である。
と、書けば、作品の責任を鑑者に全てゆだねているように聞こえるかもしれない。
しかし、そうではない。
意味や理由などなく、遺棄されたものたちは、現されるためにいつも待機している状態にある。
それが、意味が生成するために必要不可欠な「静止」なのであろう。
Video Production Notes
Producing a video is primarily a process of selection and elimination. Sometimes I select parts of a scene I initially deemed unsuccessful, and sometimes I entirely discard footage I intended to use. After many hours of filming, only a small fraction makes it into the final product. It is like shooting photos with a film camera. I recall that it was a rarity to obtain even a single satisfactory shot from an entire roll of 36-exposure film.
First of all, what appears within the frame? That is what the viewer eagerly endeavors to see. However, I also try to evoke what stays outside the frame, the elements that have been excluded. I believe that there is meaning in omissions.
The work itself has no inherent meaning. It is matter, the sensory organs of the body, that endow it with meaning and form. When I write this, it might seem that all responsibility for interpreting the work falls to the viewer. However, that is not my intention.
Objects abandoned without meaning or reason perpetually await the moment when they will be manifested. This waiting, this “stillness,” is crucial for the emergence of meaning.
2014
Matsui Chie
Translated by Christopher Stephens
2011年 HEIDI51映像制作メモ
映像作品は、光のもとで撮影され、再び光の状態になって再現される。
記録・記憶といったものが、多分に多く含まれた作品を創る事を続けていますが、インスタレーションであれ、ドローイングであれ、どのような技法の場合でも、作品として最終的には、『時間が静止したもの』として、展示してきました。
なぜ、『静止』という捉え方がでてきたのかと、言いますと、ある日歩こうとして気が付いたのです。
歩く前に私は静止しています。この『静止』はとても不完全なもので、絶えず揺れる手前にありました。
インスタレーションの中で歩き回り、ドローイングの画面の上で視線は、動き回り、また、画像そのものの動きに眼球は翻弄されます。このことと、『時間が静止したもの』とは、まるで正反対のことを語っているように思われるかもしれません。しかし、動いているものへの視線や、視線を動かすこと、動きとともに視線もあることは、永久に続くことはあり得ないと、わたしは考えます。
止むことのない「まばたき」の連続。動的な印象を持つ「まばたき」は、実は、時間を静止するための機能です。まばたきの結果、見えたものは、記憶の中でいったん、『静止』の状態になります。そうやって、わたしは、数えきれない『静止』した記憶を蓄積しているのです。
『夢』自体が、記憶の中に含まれているように。作品は、眠り、朝に起きるように、私の中に存在します。
「記憶の中で、風景だったものが、ある日、光景に変わること」
「記憶の中で、光景だったものが、ある日、風景に変わること」私の映像作品は、この両方の間を行き来する、構成になります。
人の原初的な日常の動作に、今回は重点をおいて、制作しました。ある日に展示会場で、撮影された映像が、寓意を持ったものに、変化することをとおして、「ある日」の、人(ハイジ)の、喜怒哀楽を静かに描きます。
2011
Video Production Notes
A video is filmed under light, and subsequently played back in the form of light.
My works have always included strong elements of documentation and of memory. Regardless of the medium, from installation to drawing, the works are ultimately presented as “time standing still.”
The concept of “standing still” came to me one day as I was about to walk. Before I started walking, I was still. This “stillness” was profoundly imperfect, perpetually teetering on the brink.
An installation causes you to walk through it, a drawing invites your gaze to wander over it, and a video manipulates your eyes with images that are themselves moving. All of these might seem to contradict the notion of “time standing still.” However, I believe that the act of watching moving things, shifting one’s gaze or following things with the eye, cannot be sustained indefinitely.
Our eyes never stop blinking. This blinking, which seems like a dynamic action, is actually a mechanism that temporarily stops time. When we blink, what we have seen “stands still,” frozen for a moment within our memories. In this manner, I have amassed countless memories that “stand still.”
This is analogous to dreams, which we say we “remember.” My works exist within me like the cycle of sleeping and awakening each morning.
In memory, what was once a landscape is transformed into a scene.
In memory, what was once a scene is transformed into a landscape.
My video works are composed so as to oscillate between these two transformations. This time, I focused on depicting people’s primal, everyday motions.
One day, at the exhibition venue, the footage I shot is transformed, imbued with allegory, to quietly convey the emotions – joy, anger, sorrow, pleasure – experienced “one day” by one person (Heidi).
Matsui Chie
HEIDI 51 Video Production Notes
2011
Translated by Christopher Stephens